昭和48年3月4日弥生賞 その日中山競馬場は揺れていた
噂の怪物ハイセイコーをひと目見ようと 鈴なりの大観衆は その数ざっと12万
その前年 大井競馬でデビューするや破竹の6連勝
つけた着差は なんと合計56馬身
「凄い馬が大井からやって来る」と聞いてはいたが 果たして現実どうなのかと
異様な雰囲気の中をゲートが開く スタートから道中そして直線からゴールまで
あの重苦しさ あの静寂 あのざわめき あの興奮 あの感動 あの喧騒
そのすべてを きらめく黒鹿毛の馬体一身に受け止め
堂々馬群の先頭で駆け抜けたその刹那
競馬はギャンブルの対象から スポーツの王道へと昇華を遂げた
その日を境に スポーツ紙の一面 一般紙の特集 雑誌の表紙 漫画のタイトル
ありとあらゆるメディアを飾る
ファンレターが厩舎へと舞い込む 宛名はなんと「東京都 ハイセイコー様」
ウッソー! いやホントの話!!
あの頃ぼくは若かった 悪ガキ盛りの15歳(悪かった 悪かった ホント
むちゃくちゃ悪かった どんなんやったかて? 書けませんここには)
35年の月日が流れ 子供時代の記憶はうすれ 忘れたことも多いけど
忘れられないわが良き友よ 愛しき友よハイセイコー
♪幾十万の観衆に まごごろ見せたその姿♪ 鞍上増沢末男渾身の歌唱
「さらばハイセイコー」は45万枚のビッグヒットを記録 輝かしい戦績に彩りを添えたのでございます
ハイセイコー 牡 (1970生~2000没)
父 チャイナロック
母 ハイユウ(母父 カリム)
戦績 22戦13勝(うち大井6戦6勝) ’73皐月賞 ’74宝塚記念
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